院長エッセイ集 気ままに、あるがままに 本文へジャンプ


柔肌とパンツ


 私の肌は、柔肌である。少々ざらついて毛深いけれども、その繊細さにおいては、産毛で覆われた赤子の肌に劣らない。具体例を挙げよう。Tシャツの襟元についているタグ。あれがダメなのである。少しでも固い糸で縫いつけられていたり(信じられないことだが、テグスのような糸で縫いつけられているものもある)、タグの端がめくれていたりするとそれが首筋の肌にチクチクとあたり、五秒で怒り心頭に達する。悪態をつきながらすぐに脱ぎ捨て、カッターでタグをはずすのだが、これには熟練の技が必要で、かような状況で作業を行うと、Tシャツ自体に穴を開けてしまうこと必至だ。私も三枚ほど、精神衛生上非常によろしくない穴を開けてしまった。下着のパンツのタグも鬼門だ。パンツのタグは、一周したパンツのゴムバンドを輪にするように止める働きを兼ねていることが多く、これを外すとゴムの連続性が絶たれ、パンツが使い物にならなくなってしまうので、Tシャツのタグよりもたちが悪いと言えよう。特に私の細君が好んで購入する三枚で*円といった商品は(細君の強い要請で実際の値段は伏せさせて頂く)、チクチク感が頑固で私を悩ませる。Tシャツにしてもパンツにしても直接肌に着けるものだけに、このような不具合は容易に想像でき、回避する対策も十分なされてしかるべきなのに、メーカーはいったい何をしているのだ。企業努力が足りない。猛省を促したい。与謝野晶子「みだれ髪」に倣って一句。

やは肌のあつき血汐に触れるタグ
怒りにまかせ道を説く我

 まあしかし、冷静になって考えると、前述のタグなどは少数の例外で、最近の企業はユーザーフレンドリーな商品開発にしのぎを削っているのもまた事実である。ユーザーの使い勝手を考慮し、出来るだけシンプルにその商品の機能を最大限に発揮する工夫が随所に見られる。ユーザー中心のコンセプトはそれ自体素晴しいもので、どんどん推進していって欲しいものであるが、そこには浅くはない落とし穴が存在することを鋭く指摘しておきたい。ユーザーに優しいということは、ユーザーを甘やかせることにもなり、想定外の事態に陥った時のユーザーの対応能力を奪い、個性的な使い方や新しい発想の芽を摘んでしまう弊害が生まれる可能性がある。現在のユーザーフレンドリーなパソコンしか知らない人たちが、ひとたびトラブルに直面するとパニックになり、何もできなくなるのもその一例だ。母親がコンピュータが故障していると騒ぐので、調べてみると、ワイヤレスマウスの電池が切れていただけという笑えない事件も頻発するのである。
 多少状況は異なるが、ユーザーフレンドリーのコンセプトに一脈通じるのが、バリアフリーだ。病院や診療所、さては一般社会にもあまねく存在し、あるいは氾濫し、侵さざるべき絶対善であり、その普及に全国民をあげて取り組んでいるようにみえる。しかし、元来すね者である私は、はたしてそうなのか?と思ったりする。高齢者や障害を持つ方々が、暮らしやすいよう環境を整えることに異議をはさむつもりは毛頭ないが、世に光と影があるように、あるいは副作用の全くないない良薬は存在しないように、バリアフリーにも、前述したものと同様の弊害が生まれる可能性がある。バリアがあるからこそ、それに適応すべく維持される認知力、筋力、平衡機能があり、それらはバリアフリーの環境では減退してしまう危険がある。段差のある環境や手すりがない部屋では暮らせない高齢者の方々がますます増加してしまうかも知れない。もうひとつ私がバリアフリーに対して素直になれない理由は、それがハード面からだけのアプローチであるということである。ハコものさえ作れば後はご自由にという、冷淡さを感じることがあるのだ。高齢者や障害を持つ方が様々なバリアに直面する時、周りにいる人の親切な声かけや、手を引いてあげたりすることが、一番の解決となることがある。「他人に迷惑をかけられない」。「他人にお節介をしたくない」。そういう心のバリアをなくし、社会的弱者であることの気後れやひがみのない暮らし。あるいはそういう人々への思いやりのある行為が、何のてらいもなく自然に実践できる環境こそが、真の意味でのバリアフリーではないだろうか?性善説に基づいた理想主義者の空論と言われれば返す言葉がない。しかし、ハード面の整備が優先され、システム化・機械化され、効率的に文明化されていく現代社会を、心のかよった文化として再構築する叡智が、まだ我々に残っていると私は信じたいのである。
 そんな取り留めもないことを考えていると、眠れなくなった。追い打ちをかけるように、腰のあたりがチクチクする。パンツのタグである。昼間、細君が恩着せがましく自慢したもので、私にとってはやや高級な二枚で*円のパンツである。ユーザーフレンドリーやバリアフリーの弊害を指摘した私であるが、パンツだけはユーザー最優先で作って欲しいものだ。「仕方がない。アレをやるか」。アレとは、ランニング等の下着の端をパンツの後ろの部分に挟み込み、直接タグが皮膚に当たらないようにすることだ。しかし何かを挟んでいるという違和感がつきまとうので、よほどのことがない限り使いたくない技だ。その技の発動に逡巡していると、天啓とも言うべきブリリアントでマーベラスな考えが浮かんだ。「パンツを裏表反対に履いてはどうだろうか?」早速試してみた。するとどうだろう。タグのある面は外側になるので、当然チクチク感はないし、パンツとしての機能もほとんど損なわれていない。なんというすばらしい発想だ!私はこの感動を誰かと共有したく、隣で口を開けて寝ている細君を叩き起こし、裏表逆に装着したパンツを見せながら、興奮抑えきれずまくしたてた。細君は背中を向けたまま、頭だけをこちらに回し、脱力しきった声で言った。「そう。よかったわね。いい方法が見つかって。でもエッセイには書かないでね」。何を寝ぼけたことを言っているのだ(実際寝ぼけていたのだが)。こんな素晴らしいアイデアを書かずにはいられまい。私と同じような柔肌を持つ同志のためにも。しかし、私の名誉のために付け加えると、この新しい技は、チクチク感が限度を超えているパンツにだけ適応されるもので、すべてのパンツを裏表逆に履いているわけではない。そして偶然にも私がパンツを裏表逆に履いているのを目撃した御仁は、その辺の事情を察し、柔肌ゆえの苦悩を斟酌していただきたいと願う次第である。


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